アルミ天井取付け

北京の三里屯のカフェのアルミ天井が無事付いた。

施工期間中は現場にいけてなくて、一番気にしていた部分だったが、写真から見る限り設計通りに付いたようだ。

手作りのタピオカを売りにしているカフェで、タピオカの粒感とミルクの滑らかさを表現した。

看板などが付いて、6月オープンの予定とのこと。

遠隔監理

北京で遠隔操作中の店舗の設計監理も佳境に入り、天井パネルの写真が現地の工場から送られてきた。

中国の施工は成都の新津美術館以来、8年ぶりのため、施工技術の向上が目覚ましい中国の変化を垣間見れると楽しみである。

図面通りに作らないことも多いし、施工者が自分で解釈して作ることも多いのはあいかわらずである。しかしそれはコストを下げたいとか、納期を早めたいといった利益追求型の理由ではなく、いわば早とちりの連続のように感じられる。そこには施工側のイメージを実現させたいというひたむきさ、あるいは施工者もクリエティビティを発揮したいという欲望を感じ取ることができる。なので上手く行かなかったときはなにも言わずにやり直しをしてくれる。そこは責任の所在をひたすら問ういわゆる成熟した施工組織と違ったところである。

 

解体

新築工事がそろそろ始まりを迎え、今日は現場の解体。

施主が昔自分で増築した小屋は、古めかしい屋敷の建具が転用されていたり、変わった木工が取り付けていたりと、宝の宝庫であった。施主といっしょに昔を懐かしみながら解体作業を行った。

ふるいものを一部回収し、新しい住宅に古い記憶を散りばめていきたい。

古民家再生ものがたり

「古民家再生ものがたり」ー降幡廣信  をよむ。

建物は新築か復元という概念しかなかった時世に、再生という概念を持ち込んで実践したものがたり。改修物件が増えていることもあり、勉強を兼ねて楽しく読ませていただいた。

民家の最大の弱点は基礎ということを再認識した。ヒノキは切り倒して二百年目がもっとも強度があり、切り倒したときの強度にもどるのに千年かかると書いてあって、この事実を知ってもらったら、木の強度に対する不安がかなり払しょくできるのではないか、と感じた。

リノベーションは病人を診て救うのに等しいという表現があった。弁護士、医者というプロフェッションに建築が再び仲間入りできると、少し皮肉ですがそう感じた。

この本では施主と巡り合った経緯から、着工に至るプロセスにかなりの分量を割いて書かれているが、読み物として面白くする以上に、リノベーションはまさにこのプロセスが重要なのだなと共感した。

古いものを残して大事に使うことが、施主の信頼にもつながったなど実感をもって納得するお話があった。ただの作る人ではなく、リノベーションして蘇らせるという、救う人のこころの温かみが文章からにじみ出る一冊だった。

無題

朝洗足池、T邸リノベーションのお打ち合わせ。T邸のお庭はきれいに季節の花が咲き誇っていて、いまはボケの花がきれいだった。隣地の桜は遅咲きのせいか見頃だった。

打ち合わせ中町田市役所から連絡があり、A邸の確認申請が下りたとのこと。年度末をまたいでしまったせいで担当の方が変わり、2倍の人数にチェックしてもらって時間もその分かかってしまったようだ。でもこれで一安心。

夜は佐渡ヶ島で活動されている方とお会いした。場所の力、文化の力を尊重し、引き出そうとする活動に共感を覚えた。(追記します)

バーカウンター

用賀のお店のリニューアル。

バーにするため色も落ち着いたトーンとし、独立カウンターを置いた。

バーカウンターは貴金属系の壁紙を貼って、マッシブなメタル感、重厚感を出した。

因島 春

3日間因島に出張で滞在した。

因島の春は気持ちいい。穏やかな海のパノラマビューが広がり、時間がゆったり流れている。

ところどころの民家は土壁が崩れ、屋根瓦は欠け落ち、島の風景に還元しようとしている。リノベーションは建物を時間の流れから掬いだし、束の間解放させつつ、またそっとその流れの中に戻していく作業だ。建物はこの時間の流れの中でこそ呼吸し、生き生きとするように見える。

松山から因島への道中、ガソリン切れに遭う。最寄りのガソリンスタンドまでまだ4kmくらいあったので、人生初めてのヒッチハイク敢行か、と思った矢先、親切なトラックのおじさんが止まってくれて、なんと最寄りのガソリンスタンドまでガソリンを購入して来てくれて難を無事切り抜ける。地元のやさしさに触れた。

滞在中はまとめて業者打ち合わせ。因島からフェリーで渡れる佐島にある、古民家ゲストハウス 汐見の家を、見学を兼ねて一泊。尾道市内の有名な宿アナゴノネドコも見学させていただく。大山神社にお参りもし、いろいろと充実した。

地元の食堂は安くてうまい。因島は火曜日お休みの飲食店が多い。因島のソールフードであるお好み焼き(いんのこ)はまた今度のお楽しみ。

 

ランドスケープ卒計展

日比谷ランドスケープデザイン展2018の講評会のゲストクリティークを務める機会をいただきました。

ランドスケープデザインの卒業設計を意識して観るのが初めてだったので、講評は甚だ烏滸がましい感じでしたが、建築の卒業設計との違いに着目するとランドスケープデザインの特徴が見えてきた。

まずは時間を利用してデザインするという視点。植栽のレイアウトを、根の張り方や成長の仕方から、今後の地形に与える変化まで考慮をして、現時点の植栽のレイアウトにとどまらず、今後10年、20年後のランドスケープまで想像してデザインする、建築でやりたいけどなかなかできない、うらやましい手法と感じた。

もうひとつは、スケールが大きいこと、屋外や半屋外が多いことも影響するが、活動のためのデザインが多かった。建築が静の空間だとしたら、ランドスケープは動の空間といえるだろうか。逆に動の空間を扱う建物は、建築的発想でつくるよりも、最初からランドスケープ的発想でスタートしたほうが、開放的で呼吸する空間ができる気がした。

「反脆弱性」 を読む1

本屋で反脆弱さというタイトルの本を見つけて面白そうだったので読んでみる。

反脆弱性[上]――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方 2017/6/22

ナシーム・ニコラス・タレブ、 望月 衛

原作はもっと昔に出ているようだが。

通常の概念として脆弱の反対は強靭さだが、いつか壊れる強靭さと違い、ストレスを加えることで強くなる概念を提示し、それを新たな造語として、反脆弱性 と定義している。反脆弱性を持つものの特性として、予測に頼らずに不確実な環境において意思決定を下せることを上げ、それを生物、有機物の特徴としていえるのではないか、という仮説から始めている。また、同時に現代性は脆弱性の特性が強いとし、その盲点を暴いている。

具体的な例として、挫折が人間を成長させ、イノベーションは必要に迫られて生まれるのに、現代人は間逆な環境に身を起きがちなこと、安全対策のための自動化は事故を増やすことなどを例に上げている。

未来に対して人間は身体のほうが頭脳よりも敏感であるとし、ダーウィンのいう順応以上に、生命には今後のストレスある環境を予期する能力を備わっているようだと説く。

変化がないがために変化に対応できずに急にリストラにされる銀行員より、日々の変化(ストレス)を受け改善を余儀なくされる結果長期的には安定するタクシー運転手や売春婦の対比をしている。クリスマスの直前まで平穏な七面鳥に、頭脳的に歴史を学んで今は平和と思い込む現代人を比喩しているあたりが興味深い。

命あるものは反脆弱性があるのは、複雑系を形成して、相互依存性が生まれているからとし、個別のレストランの競争が集合体の発展をもたらし、絶食は悪いタンパク質を先に分解させ、体内で再利用される。スイスの州の集合がノイズレベルの軋轢を生みつつも、連邦レベルでは安定している。安定の実現はノイズの管理であり、ノイズの最小化ではないと言ったあたりが印象深い。系をなすそれぞれの要素のあるべき大きさにも触れていて、規模が大きくなると他者は抽象的なものでしかなくなり、小国の小競り合いはバランス良く同盟を形成しながら犠牲を最小限にとどめていたのが、大国になったら二回の大戦で大きな犠牲を出した例を出している。細胞、個人、集団というように、系を形成する入れ子構造の複雑系、その互いのスケールがどう有るべきかというテーマは建築にも通じる重要な命題なので、引き続き読み進めてそのあたりのヒントも探っていきたい。

因島2

実測の漏れが合った部分を洗い出し、再度実測。

これをもとに3Dモデルを立ち上げ、設計する予定。

大方の仕事を終え、チョコレート工場ーウシオチョコラトルーへ。

http://ushio-choco.com/

山のてっぺんにあって、眺めがすこぶるいい。ココアを飲みながら眺める瀬戸内海は至高。

店内ガラスのペイントが景色とうまく重なり合う。