江の浦測候所

杉本博司の江の浦測候所を見学した。

長い歴史が宿るモノは、価値があるからこそ残されているということを考えれば、それ自体が美しいことの証明になるかもしれない。
それとともに、それぞれのモノには物語があって、建築はそれぞれのもののストーリーから派生したつなぎとして機能している。
だから建築とモノの区別があいまいであり、渾然一体となって美しい。建築はシャープで重厚、という印象を受けた。風景を切り取るフレームとしての建築は、ミニマムに存在するが、
別の角度に回ると、それは大地に根ざした量感のある物質としてしっかり存在している。
細部も、総じて先端はきれいに細くカットされているが、膨らみや断面形状から、重厚な印象を与えるディテールになっていた。
歴史とはそういう重みかもしれない、と考えさせられた。

冬至の日に、太陽の光が100mのコールテン鋼のトンネルを射抜き石群にあたり、平行に太陽の昇る 方向に向けて並べられたガラス片の小口がいっせいに輝く瞬間をぜひとも見てみたくなった。

防水 配管工事

相原の家は建具もすべて無事ついて、防水紙→通気胴縁→外壁の工事にはいっていきます。

建具の工事が終わったらすぐ防水紙を貼れれば良かったのですが、台風にみまわれて、建具と壁の隙間から雨が入り込んでしまって、合板が一部濡れてしまった。強度的には問題ないですが、露しにする予定の箇所にシミができてしまい、アク抜きを掛けて処理することになった。不測の事態ですが、注意したい。

防水紙も張り終わったので、雨仕舞はひとまず完了。

同時になかでは配管工事。露し天井が多く、配管ルートに苦労しましたが、無事どこかに収めることができそう。

 

相原PJ上棟

相原の家が着々とできてきています。

基礎だけで上モノがない状態が2週間ほど続きましたが、

建て方が始まればみるみるうちに柱や梁が組まれていき、一日で上棟しました。

今回の建物は直角が少なくて、プレカットもだいぶ苦労されたようです。

屋根が片流れな分、道路からボリュームが大きく見えます。

今回の屋根は直射日光を浴びる角度ですので、断熱材+通気層の鋼板葺きとしました。

内部からのハイサイドライトの様子が早くも想像できます。

形状が複雑ないくつかの建具は建て方を待って現場採寸です。このハイサイドライトもそのひとつ。

北京カフェ事情

5日に北京到着。気温は40度(!)三里屯に直行しカフェの現場を確認。もう出来ていて営業も始まっていたので、光源が丸見えだったりして直さないとまずいところだけ直し、施工精度のところは施主と反省点をまとめ、次回に活かすということとした。

翌日、クライアントと北京のカフェ事情をリサーチした。視覚のインパクトを狙う店づくりは減り、素材の使い方やディテール、細かいこだわりを見せることで高級感やブランドイメージを演出する段階にきている印象がした。行列が特にできていたのが、一つは三里屯の喜茶。スターバックスのティストの店内に、お茶を見せる仕掛けを各所に施している。

 

 

 

 

喜茶

 

 

 

 

 

 

もうひとつは国貿近くの楽々茶。こちらはドライな素材感(テラゾー、ステンレス)と、色温度の高めの照明でファクトリーのような雰囲気を作り出している。

楽々茶

 

 

 

 

 

 

 

 

どちらにも感じられるのはスターバックスに対する対抗意識である。スターバックスを起点にジャンプを試みるか、スターバックスと逆の方向に行くかという違いはあるにせよ。またコーヒーとちがう中国茶で勝負するところに、意地を感じられる。

塔の岳

日々の運動不足を償うために登山を敢行。今回は丹沢表尾根。秦野で9時のバスで出発し、ヤビツ峠(10:00) → 二の塔 → 三の塔 → 塔の岳(13:00)→ 鍋割山(14:30)→ 大倉(17:00)。渋沢駅に戻ったのが18時前。

梅雨前で夏前の涼しいひと時を満喫。きれいな空気と壮大な景色で肉体の苦しみが緩和される。

かなり疲れ果てたが、時間を置いたらきっとまた登りたくなる、充実感を味わった。

地鎮祭

本日はA邸工事の地鎮祭に参加し、工事の無事を祈願した。

土地へのリスペクトを示すと同時に、地鎮祭の様子を見に来た近所の方々とも交流が発生したりと、こういった行事の重要性をあたらめて認識させられた。

アルミ天井取付け

北京の三里屯のカフェのアルミ天井が無事付いた。

施工期間中は現場にいけてなくて、一番気にしていた部分だったが、写真から見る限り設計通りに付いたようだ。

手作りのタピオカを売りにしているカフェで、タピオカの粒感とミルクの滑らかさを表現した。

看板などが付いて、6月オープンの予定とのこと。

遠隔監理

北京で遠隔操作中の店舗の設計監理も佳境に入り、天井パネルの写真が現地の工場から送られてきた。

中国の施工は成都の新津美術館以来、8年ぶりのため、施工技術の向上が目覚ましい中国の変化を垣間見れると楽しみである。

図面通りに作らないことも多いし、施工者が自分で解釈して作ることも多いのはあいかわらずである。しかしそれはコストを下げたいとか、納期を早めたいといった利益追求型の理由ではなく、いわば早とちりの連続のように感じられる。そこには施工側のイメージを実現させたいというひたむきさ、あるいは施工者もクリエティビティを発揮したいという欲望を感じ取ることができる。なので上手く行かなかったときはなにも言わずにやり直しをしてくれる。そこは責任の所在をひたすら問ういわゆる成熟した施工組織と違ったところである。

 

解体

新築工事がそろそろ始まりを迎え、今日は現場の解体。

施主が昔自分で増築した小屋は、古めかしい屋敷の建具が転用されていたり、変わった木工が取り付けていたりと、宝の宝庫であった。施主といっしょに昔を懐かしみながら解体作業を行った。

ふるいものを一部回収し、新しい住宅に古い記憶を散りばめていきたい。

古民家再生ものがたり

「古民家再生ものがたり」ー降幡廣信  をよむ。

建物は新築か復元という概念しかなかった時世に、再生という概念を持ち込んで実践したものがたり。改修物件が増えていることもあり、勉強を兼ねて楽しく読ませていただいた。

民家の最大の弱点は基礎ということを再認識した。ヒノキは切り倒して二百年目がもっとも強度があり、切り倒したときの強度にもどるのに千年かかると書いてあって、この事実を知ってもらったら、木の強度に対する不安がかなり払しょくできるのではないか、と感じた。

リノベーションは病人を診て救うのに等しいという表現があった。弁護士、医者というプロフェッションに建築が再び仲間入りできると、少し皮肉ですがそう感じた。

この本では施主と巡り合った経緯から、着工に至るプロセスにかなりの分量を割いて書かれているが、読み物として面白くする以上に、リノベーションはまさにこのプロセスが重要なのだなと共感した。

古いものを残して大事に使うことが、施主の信頼にもつながったなど実感をもって納得するお話があった。ただの作る人ではなく、リノベーションして蘇らせるという、救う人のこころの温かみが文章からにじみ出る一冊だった。