名建築は体験が9割 ロバート・マッカーター

移動が多かったので、名建築は体験が9割 ロバート・マッカーター を読んだ。

ライトの建築を中心に内部空間の経験について語っている。

エコール・デ・ボザール流の空間認識は、眼と身体の動線はともに目的地への動きの経路に従い、全く同一であるのに対し、
近代化の空間的コンセプトは、同じ空間のシークエンスを抜け、同じ中心軸にそって視線を動かし移動する内部空間を平面的、断面的にさまようように動く。ユニティテンプルやブロッサム邸などは、中心部の動きが遮られた軸、折れ曲がる壁によって、空間的な継続性を生み出している。

コルビュジエにも触れ、薄く透明なものから、よりマッシブで有機的、凹型、空洞で器へと移行したプロセスは、感情に共鳴する内部空間を追求した結果であり。それらは絵画が初期の静物画からキュビズムの絵画へ変化にも見て取れる。

しかし最近は空間認識の感度が下がりつつあり、外部形態への注目が強調されることで、内部体験に対してほとんど無知であるという。
建築はインターネットへの投稿などのメディアによって、イメージ(画像)に支配されている。空間に立ち入ることもなしに、知っているように感じる。写真写りの良さが、デザインされた事象のイメージをわかりやすいアイコンへと低下させた。

ストークスは、材料を積み上げて作るモデリング、削り出して内部空間を既存の密な形体につくるカービングを区別し、アルド・ファン・アイクは、人のいるすべての空間は、本質的に内部であり。人にデザインされたあらゆる空間は根本的に内部空間であるという。歴史上残る最初期の空間は、どれもほぼ内側の室からなる。マルタ島のハイポジュームチカシンデン、エトルリアコフン、アジャンター石窟群、アブ・シンベル神殿 などなど。

では、これからの内部空間はどこに向かうのか。内密性と無限性というキーワードがあった。無限の空間に内密で身体的なスケールを持ち込む、ということだが、それは、巣のような空間であろうか。ファン・デル・ラーンのいう、外部と内部を、限界のない自然の空間から限界のある経験の空間というで意義で考えると発展性があるかもしれない。

VRが目指すところは、今の所視覚に主に頼っているが、リアルな(五感を呼び起こす)感覚である。VRは内部と外部を再定義できるか、あるいはキュビズムの流れを再度持ち込めるか、考えさせられる。

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