富岡の家が完成しました

築30年のヘーベルハウス(軽量鉄骨造)をフルリノベーションしました。

詳細はホームページに公開しましたので御覧ください。

https://kominoru.com

 

360度画像をワードプレスに貼り付ける試みをしてみました。

マウスで回してみてください↓

寝室

リビング

京急富岡の家リノベーション

去年夏から設計を進めていた京急富岡の家リノベーションも、形状はおよそ完成し、仕上げを残すのみとなった。

今日はコンセント、スイッチの開口をメインに確認。構造体が集中して設置できない箇所がいくつかある。展開図の軸線付近は要注意。

大工さん基本平面図見て作業すすめるので、情報量多くなって見にくくなっても、なるべく平面図に書くべきかもしれない。

いくつかの作品が海外のサイトに掲載されました

いくつかサイトに作品を載せてくれていましたので、

リンクを載せておきます。

大屋根の家:

https://www.archdaily.com/953138/big-loft-house-kominoru-design

https://archello.com/project/house-in-the-roof

archidaily China があったんですね。中国語に訳してくれたみたいです:

https://www.archdaily.cn/cn/953738/dong-jing-da-yue-ceng-xiao-wu-kominoru-design

丘の上の家:

https://www.archdaily.com/953286/house-on-the-hill-kominoru-design

https://archello.com/project/house-on-the-hill-7

同じく中国語Ver:

https://www.hhlloo.com/a/House-On-The-Hill-3.html

整理するよりも増やす側になりたい

2021年、あけましておめでとうございます。

ブログ、更新を怠っていたが、今年は移動中などの隙間時間も利用して、こまめに些細な内容を投稿できればと思う。

さて、年始のはじめにぼんやりとこのようなことを考えていた。
物事の評価軸をはっきり持っている人がいる一方で、多角的に物事を判断する人がいる。
なんとなく二種類の人種がいるかのように、はっきり分けられる。

グーグルは世界の情報を整理するという。整理された情報によって人々の利便性は上がっているが、一方でせわしさは変わらず、
生活が豊かになった感覚がない。
価格ドットコム、食べログのように商品、サービスを整理して、順位付けする格付けサイトに代表されるサービスは、
一見利用者を幸せにするが、評価軸を決めることで、軸に載らない良さが零れ落ちて、豊かさが失われていないか。

このように、リニアな評価軸しか持たなければ、効率化は図りやすいが、行き着く先に幸せは見えてこない。
このような評価軸に慣れた人は、人間をもこのように、リニアに評価し、その結果、単純な評価基準で劣っていたりと思い込み、
見下したり、差別したりする。

建築でも、効率的に作業を行おうと思えば、その流れの中で建築設計が作業になり下がり、
情報のふり落とされたつまらない建築になっていないか、感じることがある。
代わりに、理想的な建築は、どうしても効率化をそばに置いた先に生まれる。
そこには施主の理解ももちろん必要であるが、経済性の問題さえクリアできればおよその施主は了解してくれる。
建築は、豊かさを作っていくプロセスでありたい。経済原理と矛盾するところはアイデアで克服すればよい。
セルフビルドを導入すれば、体を動かすことで健康につながり、滞りがちの人々の交流も生まれる。

人間もゆたかなものであるという認識のもとで判断すれば、優劣でそもそも判断しなくなる。
そうすれば他人の様々な良さが見えてくる。そのような見方が結果的にただ比べるだけのせわしい豊かさから、日々見つかる平穏な豊かさへと変わり、
真の幸せにつながるのではないか。そもそも生命はエントロピー、つまり情報を増やすものであるものである。

整理する代わりに、情報を増やして豊かにする行いをしていきたい。

基礎配筋

小金井の住宅PJの配筋および基礎打設完了時の写真

スリーブの位置、アンカーボルトの位置の確認
今回は吹付け断熱ですが、スタイロフォームによる基礎断熱の場合は型枠と一緒に打ち込む

両国のホテル

両国のホテルPJが本日消防検査と保健所検査を無事パスし、竣工しました。

オリンピック前ということもあり、この2年で3件目のホテル用途変更+リノベーション物件です。植栽ポットが入って、緑に覆われたら、また違う雰囲気になるので待ち遠しいです。

受付とベンチを新設しましたが、避難タラップがベンチの真上のため、消防検査で言われました。今回はタラップをいっぱい伸ばした状態でも干渉がなかったので大丈夫だったのですが、要注意です。

現場にて

荻窪の現場の外回りができ始めてきた。

FIX建具の一部が大工さん工事としたが、既成品よりももしかして綺麗にできていて、改めて年配の大工さんの技術の高さを実感した。

外壁の木張りも、角部分が難しい収まりにもかかわらず、一週間ほどでほぼ張り終わっていた。ここに来てハイペースで進んでいるので、完成が見えてきて、待ち遠しい気持ちになる。

講評対象としてランドスケープを考える

日比谷ランドスケープデザイン展2019にゲスト講師として参加させていただいた。

建築の視点からコメントすることを求められていたとはいえ、ランドスケープを普段デザインわたしとして、どういうコメントをすればいいか迷いもあったが、実際の作品を拝見すると、建築とランドスケープにほとんど垣根がないことに改めて気付かされた。

あえて言えばランドスケープがよりピュアで建築的空間を表現しているようにも感じた。

時間軸をしっかり取り入れた設計もそうだし、純粋に美しいものを追求するデザイン手法、一見リアリティが無いように見えるデザインでも、少なくプレゼンテーションのところまではしっかり現出できているところを見ると、最終的にデザインを実現させるのは、それを作りたい情熱なのかなと、改めて思った。心象風景をリアリティを排除して作り出すこともデザインだし、その美しい成果物を、パッションをもって、なるべく忠実に実現させるのも、デザインだと思った。作るプロセスにもデザインは存在しないと本来はいけないはずである。しかし両者はあえて分けて考えていいのではないか、とも考えた。

場所をベクトルの集合として考えてみる。何も手つかずの場所はベクトルがない状態、何かの手を加えた(ベクトルを足した)状態が、人工的な状態だとすると、例えば商業建築はベクトルをひとの欲望を掻き立てる方向にベクトルをかき集めたような状態だし、いわゆる一般的な建築もその傾向は多少ならずある。

対してランドスケープのめざす方向は、たくさんベクトルが存在すれど、ベクトル同士が打ち消し合って、ゼロの場を作り出す、ということではないだろうか、と思った。

マンダラにふれる

観想の空間 マンダラ・尾道・曼荼羅

を読む。

代表的なマンダラ絵図を紹介した後、マンダラを意識した現代アートの試みが載せられていて、マンダラに関する考察の文章がいくつか載せられている。

 

マンダラのための原形態 植田信隆 が面白い。説明を読むとこのように理解できる。

エレメント=四大(地、水、空気、熱)地と水が根を生じ、水と空気で葉が繁り、空気と熱で花を咲かせる。桜は、真ん中のプロセスを通り越して根と花だけの状態で見えるから、余計大きなエネルギーを吸い上げる必要があり、そのため、上部がより高められた命を感じられ、低みにはより粗雑で死滅した物質があるように感じられる。満開の桜の花に、植物の本質である、生命の蕩尽をもっとも感じることができる。

建築としての曼荼羅(ひずめ あきお)の一節の抜粋

「なかでも曼荼羅はきわめて成熟した建築といえる。それは密教僧の住む家にほかならない。(中略)彼らは瞑想と称しているが、実は曼荼羅の内部空間に実際的に生活しているも同然だ。(中略)触覚的な視覚を有するものならば、実際に建築せずとも設計図の中で十分生活できるのである。(中略)当時知られている限りの幾何学を援用して、無数の要素が有機的に階層化され、グルーピングされる。(中略)もし空間がフラクタル幾何学を学んでいたら、現存するような曼荼羅の形式を取っていなかっただろう。」

スマートフォンは現代のマンダラとなったのか。いや、スマートフォンには奥がない。しかしすでに空間がある。建築が精神の住処であり続けるためには、もはや空間を追求するのではなく、無限の奥、スケールを横断するの拡大縮小性、をめざすべきではないだろうか。