パソコン作業の合間に壁塗り。今日は漆喰の下地のシーラー。保育園の現場。
設計だけじゃなくて施工も関わるのは心身の健康によろしい。施主の財布にも優しい。。
パソコン作業の合間に壁塗り。今日は漆喰の下地のシーラー。保育園の現場。
設計だけじゃなくて施工も関わるのは心身の健康によろしい。施主の財布にも優しい。。
日吉の保育園の工事がついに始まった。
現場で収まりの確認をしながら、まだ決まりきってないところを洗い出していく。リノベーションは現状との対話なので、どうしても設計図だけだと追いきれない部分が出てくる。
その後生研へ。村松研究室の今年の生研公開は窓についての研究「窓-時空間からの環境との会話」。窓の進化を樹形図にまとめている絵が興味深い。原初的には窓は外部への唯一の接続点であった(生誕に於いても、人類の歴史のおいての横穴的住居空間においても)。通風、換気、採光以外にも、ラスコーの壁画のように外部イメージの表出の場であった。そこでは視覚、嗅覚、聴覚などすべての感覚の、外部とのつながりを、窓が担っていた。
その後、窓の機能、構造は進化していく。それに連れ、通風、換気、採光は建築側が担い、外部イメージ的役割は風景画、襖絵のように、写実的な絵画という表現になっていった。窓の役割分担が、感覚器官の分離をもたらした。
現代のおいては、窓は意匠的な進化の枠を超えて、建築を溶かしつつある。どこまでが窓か、定義することができない建築も多々出てきている。一方で、スマホが代表する端末によって、視覚は能動性をすら必要とせず、見ることを導いてくれるのにまかれせば良い。視覚イメージの窓は、受動的な視覚・超視覚を担うところまで進化している。
駒場の裏を通って松濤へ。
しかし駒場裏にはおしゃれなカフェがいくつもできている。材木屋など変わらない風景の中にぽつんと佇んている。
学生のころ何度も外観を見ながら入ることがなかったGallery Tomに入ってみる。内藤廣さん設計のギャラリーである。
山形鋼の形状の鉄板が架け渡され、トップライトを分割する屋根の役割を果たしつつ、雨を流すドレーンにもなっている。
なんとも構造、意匠、機能、お互いの距離が近い、清々しい建築である。最近はこのような建築はますます見かけられなくなってきた。
水下の方では山形鋼にドレーンが接続されている。
竣工当初の写真と見比べて、色々検証したくなった。
その後半蔵門で打ち合わせ。平河町 日本料理 おだか。
内装を手掛けた用賀の物産店 neoichi のプチリニューアル。
昼だけでなく、夜もバーとして営業することに。
センターテーブルをバー仕様に変更修正。
オープンから2ヶ月がたち、商品も増え、だいぶ物産店っぽくなりました。
http://www.neomura.or.jp/neoichi/index.html
設計の合間に、WebGLを使ったリアルタイムレンダリングの実験。VRのプレゼンツールにするのが最終目的。
かんたんなモデルをUnrealEngineで作って、html5で書き出して実行してみた。パソコンだとサクサク動くのだが、スマホだとメモリ不足で動かず。
スマホで動かないと目的達成できないので、モデルを軽くするなりして、引き続き工夫してみる。
最近保育園の設計に携わっていることもあり、小竹向原にある、まちの保育園を見学させてもらった。
コンテンツを規定せず、子供の興味の赴くままに任せ、大人はあくまでそれをサポートし、引き伸ばす。
ここまでは普通だが、いわば子供の興味を種に、まちのリソースを発見して引き出し、繋ぎ合わす。子供を媒介にすれば、ひとの心は動く。子供がふと目を向けるまちの一角には、忘れられていた宝が潜んでいる。
こどもたちで広がる経済活動。こどもの前では、みんな親切に振る舞う。子供をビジネスマンに育ててはならない。
福岡のマンションのリノベーションが完成した。
庭に面する特性を活かし、キッチンを庭に面する位置に移動した。
庭を眺めながら料理ができると同時に、庭からの視線をカットするために、
キッチンのラインを、第二のファサードと捉えて、設計した。
梁型を下がり天井で隠し、天井の上部に飾り棚と収納を設けた。
開閉する第二のファサード。キッチンのラインを閉じることで、リビングはより半外部化する。
■今回は福岡市東区の辰巳工務店さんに工事をお願いしました。
http://www1.odn.ne.jp/tatsu/
タイトなスケジュールのなか本当に丁寧なお仕事をしていただき、感謝の言葉しかありません。
前日は松山に一泊させてもらって、早朝から、伊予鉄道バスで 7:00松山→8:40今治 瀬戸内バスで8:50→10:00福山と大移動。 せとうちバスはしまなみ海道を越えるから、車窓が美しい。
福山から更にトモテツバスで瀬戸農協前まで行き、徒歩20分ほどで神勝寺到着。なんとかたどり着けた。バス乗り継ぎの旅。
受付の建物 松堂 藤森照信設計。
研究室自体に施工を手伝ったねむの木学園を思い出した。
神勝寺は全体が豊かな庭園になっていて、天気がいいこの日は実にきもちがいい。
その一角にある 一来亭
千利休が晩年、京都の聚楽屋敷に建てたとされる一畳台目の茶室を、復元したと言われている。
ブリッジを渡って反対側の敷地へ。名和晃平プロデュースの、洸庭へ。
禅を体感するためのインスタレーション。
瞑想はこういうものを見えるのか。視覚に頼りすぎている今の時代において、視覚を入り口に、視覚じゃない感覚を呼び起こすことに感動を覚えた。30分ごとに入場可能。
仕上げはいわゆるこけら葺きでしょうか。
昨日からの大移動で
福岡→湯布院→中津(中津城、福沢諭吉記念館)→別府→大分へ。
アートプラザ見学。磯崎新の旧大分県立図書館を転用。
マッシブで閉じているが、外部の貫入がなかから感じられ、把握可能な空間に風通しの良さを感じた。
3Fギャラリーでは磯崎新の作品群の模型が常設で展示されている。入場無料。ミュンヘン現代美術館のコンペ案や、政治で頓挫したシュトゥットガルトの美術館案などが興味深い。
その後最近できた坂茂の新図書館へ。
こちらはガラスの箱で、視線的には開いているが、なかにいると閉じた印象がつよかった。
紙素材でできた家具類が美しい。
人は喜怒哀楽を持っている。広告は、喜や楽のほうに訴えようと切磋琢磨し、膨大の量のコンテンツを作り出す。しかし、感情の量は限られている。より目立つコンテンツを作れば作るほど、消費者は拒絶反応を示し、効果を得られなく来ている。
年々あまのじゃくになっていく消費者に対し、もはや情報を押し付けるのではなく、癒しを提供して感性的に好かれることが必要である。また、喜や楽に訴えるのではなく、怒や哀のように、直接イメージアップには結びつかないが、現代社会において刺激されることの少ないそれらの感情にうまく訴えることで、強い印象や思いがけない効果を得ることができる。西洋医学の対症療法のようなデザインから、漢方薬のような内側からじわっと効くデザインを目指すべきではなかろうか。
デザインも建築も、時代によってサイクルが存在し、要素を足し合わせて過剰な表現が好まれる時代が来ては、今度は逆に、要素を引き算して簡潔な表現が好まれるようになる。アップル製品は後者の極致ともいえる。しかしデザインのトレンドであり、簡潔なデザインだからそこにかかっている労力も少ないということは決してない。時代を反映した好みは変わり続けるが、デザインに付加されるエネルギーの総量は、社会の成熟度に常に比例するのである。
新体験と非日常は似て非なるものである。新体験は日常を切り捨て、驚きと興奮を与えるが、非日常は日常の延長にたち、感動と連帯を生む。大震災が人を結びつけたのも、大震災という非日常を通し、人々が日常を見つめなおしたためである。東京駅のプロジェクションマッピングが成功したのも、3Dを駆使したプロジェクション技術という新体験以上に、東京駅という見慣れた日常を非日常的空間に変貌せしめたためである。
もともと人々の居心地の良さに資するものとして一体的に存在していたデザインと建築が、いつの間にか情報とファサードという、遊離したばかりか、どちらが発信力が強いかを競い合うライバルのような状態になってしまっていた。建築の装飾は権威誇示のような情報発信力を備わっていた以上に、観る人に心の安らぎを与え、純粋な美として存在していたのではないだろうか。いまこそ建築とデザインを一体化しなおす時である。近年成功しているOOH(屋外広告)がその兆しを示している。