都内で二世帯隣り合って住む住宅を設計した。
本日二棟目の建て方が完了した。
ボリュームが近似しながらも、屋根の角度を少し変えることで、世帯ごとの都市に対する向かい合い方の違いを表した。
都内で二世帯隣り合って住む住宅を設計した。
本日二棟目の建て方が完了した。
ボリュームが近似しながらも、屋根の角度を少し変えることで、世帯ごとの都市に対する向かい合い方の違いを表した。
自邸ではセルフビルドを積極的に取り入れてみた。
壁は全て漆喰塗り。
隅々まで養生をしては漆喰を塗り、養生を剥がしてほつれている部分の補修作業。なかなか先が見えない作業だったが、自分が住む空間なのでそれもさほど苦にならず、どちらかというと楽しんでやってた。
施工者と住む人の距離はますます遠くなっている気がする。ハウスメーカーの営業が間に挟むこともあり、施工サイドは住む人にとってブラックボックス化し、アナログな施工作業が、施主にとっては見本帳やパースでみた通りのものになっているかのデジタルなチェックの対象にしかならない。施主はパース通りの完璧にフラットな仕上げを期待する。アナログな作業ではどうしても発生する凹凸やほつれはすぐクレームの対象になる一方で、施主が素材に触れることがない、ましてや施工する過程をしらないため、素材の持つ特性になかなか想像が及ぶことがない。そのため平滑性を担保するために壁紙仕上げがあふれ、クレームになりやすい塗装や漆喰の使用は敬遠される。(あるいは高くなる。しかしそれがまた採用を敬遠される原因になる。)
セルフビルドは、仕上げの平滑さの許容度の実験にもなった。藤森建築でも見かける素人らしい仕上がり具合は個人的には嫌いではない。量産化がもっとも不得意とし、達成しにくいところだからである。費用度外視で、使いたい材料を使えたのも大きい。カタログどおりに出来た箱に住むのではなく、丹念に仕上げられた素材に囲われて住むという、住まいの身体性をとりもどすことができた。
住まいの身体性を取り戻すために、セルフビルドをもっと評価してはどうだろうか。